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川口市安行の歴史

埼玉県川口市安行は、江戸時代から植木の産地として名高い地域。
恵まれた自然的条件や立地に加え、生産技術が普及していったことから
現在に至るまで植木生産・流通の全国的な拠点となっています。

安行園芸は、埼玉県川口市を中心に半世紀以上も植木や造園工事の事業で地域の公共事業や
埼玉県から関東の仕事をしておりました。

下記、安行の歴史をきれいにまとめてあるものを見つけましたので、皆様にも知って頂ければと思います。

西暦 年号 植木関係事項
1618 元和
  • 安行植木の起源は380年前

関東郡第3代伊奈半十郎忠治が、伊奈町から川口

の赤山に館を移し、利水や開 に努める一方、植木や花の栽培を盛んに奨励したのが、安行植木の始めといわれている。伊奈氏は以来10代続いたが、寛政4年(1792)幕府に領地を没収された。      陣屋敷は、赤山城址として残っている。

1652~1655 承応
  • 安行植木の祖 吉田権之丞

安行村の吉田権之丞が切り花植木を作り、江戸に売り始め盛んになったとも言われ、安行植木の祖といわれている。

1657 明暦3
  • 振袖火事を契機に大当たり

江戸を焦土と化した明暦の大火(振袖火事)の後、茅や の売り込みに合わせ花木や植木を出荷し、大当たりをしたといわれている。これを契機として近隣の農家で、植木等の栽培が広く行われるようになった。

1768~1780 明和~安永
  • 赤山の枝物 赤山もの

赤山在住の岩橋太郎兵衛が、ヤナギサカキ、イブキ、マサキ、マキ、などの青葉物の枝を切り、江戸へ売り出した明治に入り、促成栽培の技術が確立され、日光ヒバ、ヒムロスギ、モモ、ウメ、なども出荷され、<赤山の枝物>としての地位を確立した。

1851~1863  永4~文久
  • 安行の苗木等を各地へ販売

安行村、加藤家、中田家などの農家の植木売上台帳をみると、<チャボヒバ、マキ、モモ、ウメ、マツ、サクラ、カイドウ、ボタンなど>多くの種類が今の足立区、三郷市、吉川町、八潮市、草加市、西新井、川越市、館林市、宇都宮市等々へ販売されていた記録がある。昔は果樹苗、植木苗が主体だった。

1867頃 幕末~明治
  • 幕末の頃、植木栽培農家は十数戸~数十戸

安行の植木は、江戸時代に主要生産地であった巣鴨、駒込、文京区染井、田端等の、後方供給基地の性格を有していた。

1953 昭和28
  • 県の植物見本園開園

<埼玉県植物見本園>現在の植物振興センターが開園し、植木産業の振興、生産技術の向上、環境緑化の推進などのしどうにあたる。

1960~1973 昭和35~48
  • 未會有の緑化ブーム到来

日本の本格化した高度成長の波に乗り、植木の需要が爆発的に拡大し、未會有の緑化ブームを迎え発展した。                     幹線道路網の整備、公園の整備、工業団地の造成、住宅団地の造成、都市開発など公共土木事業の展開により、大量の環境緑化樹の需要を発生させた。これをらを契機に、栽培主体の植木生産地域から、造園業者、卸小売業者、専業生産農家へと細分化し、それぞれが単独に存在するのではなく、複合経営体を形づくっている。            全国の植木の流通生産の拠点となっている。この好景気は、昭和48年第一次オイルショック頃まで続いた。

1960~ 昭和35
  • 市外、県外に農場を拡大

農場の不足を補うため、自家栽培(借地又は土地購入)、委託栽培、契約栽培などにより、大宮台地(浦和、大宮、岩槻等)、茨城県祝い、千葉東金方面等で植木、苗木等の栽培を行うようになった。

 

1967 昭和42
  • グリーンセンター開園

昭和42年11月1日、グリーンセンター川口市立花木植物園(川口市立グリーンセンター)が、市民の憩いの場、レクリエーション施設の提供、都市農業の振興等を図るために開園した。

1973 昭和48
  • 植物取引センター設立

昭和48年9月1日、川口市営安行植物取引がセリをおとして植木等の流通の円滑化、取引の適正化、特産農業の振興等を図るため設立され、同時に卸業者の(株)安行取引所も設立された。

1973~ 昭和48~
  • 厳しい特代に・低成長期に

オイルショック以降は、景気の波により又バプルの時期等のように、一時的に隆盛の時はあるものの、低成長期時代となり、川口の縁化産業にとって厳しい状態が続き現在に至っている。

1975 昭和50
  • 植木祭り開催

10月に、第1回植木祭りを開催。以後春と秋年2回開催し現在に至っている。

1982 昭和57
  • フロリアードに出展

花の万博・フロリアード‘82(国際園芸博覧会)(オランダ アムステルダムで開催)に日本を代表して川口市から植木5千本、苗木、下草類、盆栽2百鉢、灯籠等を出展し、日本庭園が最高賞を受賞、 安行の名を世界に知らしめた。

 

 

1985 昭和60
  • グリーンフェステバル開催
1987 昭和62
  • 全国緑化フェア開催

緑の国体・第5回全国緑化フェア(グリーンハーモニーさいたま 87)が埼玉県で開催されグリーンセンターがサテライト会場となった。

1996 平成8
  • 川口緑化センタ開館

平成8年4月1日・緑化産業の総合拠点として  「川口緑化センタ」が開館せ、同時に「道の駅・
かわぐちあんぎょう」もオープンした。

 

出典:安行植木の歴史

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